No Heart?
2003年2月6日結婚は先着順だけど、恋愛は略奪もありらしい。
略奪というから聞こえが悪いだけで、
要は心変わりだと思う。
あとは仕掛ける側の倫理観の問題。
結婚に比べて、やはり恋愛にルールはないのかな。
それにしても近頃の恋愛のルールの無さはすごい、
と保守的な私は常々感じてしまう。
メールの返事が早急に来なければ焦る。
彼/彼女だから携帯を覗き見て良い。
イベントは大事にしなきゃやってられない。
「携帯が無くちゃ生活できない」
というくらい携帯が大事だと言うのなら、
どうして“恋人”という口先だけの
肩書きを振りかざして、
その中身を勝手に覗くことができるのか。
「携帯を見られる?それくらい別にいいよ」
そんな人もいるだろう。それはそれでいい。
だが自分が許すからといって、
それが万人に許されるわけではない。
「自分は見られて平気だから、あなたのも見る」
こんなことはありえないわけだ。
いわゆる『ジャイアン症候群』だ。
俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの。
お前の時間は俺の時間、だからメールは即返せ。
お前の秘密は俺の秘密、だから携帯を見せろ。
お前の心は俺の心、だから俺の言うことを聞け。
ジャイアン症候群は携帯依存と表裏一体。
いつも何かと関わっていないと、
寂しくて不安でしょうがない。
誰でも所詮寂しいのだという現実を、
どうしても受け入れられない子供のまま。
寂しさを埋めるために一緒にいるなら、
そこに愛や思いやりなんていらないわけだ。
隣に誰かを置いておきたい。
一人はいや。
一人はカッコ悪い。
今どき彼/彼女もいないなんて。
嫌いじゃないから付き合ってみた。
失うのが怖いという気持ちは当たり前だけど、
失わないように肩に力を入れ始めたときには、
もう失いかけているんじゃなかろうか。
自分を満足させるために生きるのと、
ないものねだりをしないで生きるのと、
バランスを取るのは難しい。
妥協はしたくない、でも貪欲になり過ぎない。
私はこう思う。
自分の努力でどうにかなること、
例えば勉強や仕事なんかには、貪欲でいい。
一方、どんなに努力しても動かせないもの、
人の気持ちや価値観には妥協は譲歩を
覚えていくのがいい。
そんな上手に、器用にはできない。
結局、自分を一番優先してしまうかもしれない。
心の中では下司なことを思ってしまうだろう。
こんな私だって彼の携帯を覗きたいときもある。
心の底から清くあることなんて到底無理だ。
汚い自分を一生捨てることはできない。
計算高さや腹黒さをゼロにするのは不可能だ。
私はただ、最良のバランスを見つけたい。
『本当に頑張っている状態というのは、
リラックスしている状態だ』
そんなバランスを見つけたい。
相当困難と見た。
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